当寺の境内
本堂
入母屋造、唐破風向拝。嘉永4(1851)年、「越後の天狗」と呼ばれ天才的な宮大工であった本間平吉氏による建築です。弘化4(1847)年に善光寺大地震により旧本堂を失った後、各地にいらっしゃる大勢の信徒の方々の寄進により約4年の歳月をかけて再建されました。
外陣の欄間の彫刻は迫力があり、安産・子育のお寺のためか親子の獅子が彫刻されています。
本堂正面から
本堂斜めから
本堂内の欄間 (中央)
本堂内の欄間 (右)
本堂内の欄間 (左)
本間平吉氏は当寺の本堂以外に善光寺の仁王門(明治24年の大火災で焼失)も手掛けておりました。
その仁王門を建て終わり、越後への帰り道の途中で当寺の近くを通りかかりました。その時、地震で全壊してしまった当寺の無残な惨状に深く心を寄せられ、帰るのをやめて当寺の本堂の再建に着手したとの言い伝えが残ります。
庫裡
平成2(1990)年春に竣工いたしました。エアコン完備の48畳の大広間と男女別のトイレがございます。完成以来、新年祈願での待合室や法事などに広く利用されております。
大広間の窓からは裏庭をご覧いただくことができます。
大広間全景
庫裡玄関
法事での待合所
庭園
もともとの庭園は明治36(1903)年、京都から呼んだ一流の庭師により築かれたといいます。しかし、その後は手入れがされることなく荒れてしまっておりました。そこで昭和47(1972)年から原型を残しながらツツジを増植したり新たに石を配置したりすることで、流麗な庭園としてよみがえりました。
また、本堂横の斜面には約150株の紫陽花が植栽されており、長野市内では知る人ぞ知る紫陽花の名所となっています。
大広間裏の庭園
大広間裏の庭園
大広間裏の庭園
春の庭園
初夏の庭園
紫陽花の盛り(7月ごろ)
紫陽花
あじさい観音
当寺の宝物
宮内省からの御礼状
大正14(1925)年昭和天皇(当時は皇太子殿下)と香淳皇后との第1皇女である照宮成子内親王殿下が御誕生されるにあたって、宮内省からの栄誉あるご依頼により安産祈願の御札・御守・子安大荒神御影(おすがた)などの一式をお送りし、そのことを感謝する旨が書かれた御礼状をいただきました。
通常の場合は大きな神社に宮内省からのご依頼が下る場合が多く、寺院に下った例というのは珍しいといわれています。
第24代内閣総理大臣・加藤高明閣下 ご揮毫
憲政会総裁・加藤高明氏(1860~1926)の秘書であった小川村出身の松本忠雄氏(1887~1947)が当寺23世・伊東恵済上人と交流があり、当寺御本尊の子安大荒神が国宝に指定されたことを祝していただいた御揮毫でございます。加藤高明氏が内閣総理大臣となるのは、9年後の大正13(1924)年からであるため、肩書も爵位の「子爵」と記されています。