行基菩薩 御作 三宝大荒神

行基菩薩 御作 三宝さんぼう大荒神だいこうじん

宮殿くうでんの前に安置されているお前立まえだちの三宝大荒神

ご説明

奈良時代の大宝2(702)年に行基菩薩が造立され、戦国時代には「奥信濃の虎」とよばれ2度にわたり武田信玄を破った武将・村上義清公の念持仏となり、現在この荒神堂に伝わっている仏像です。眼には玉眼が施されており、もともと素白地(彩色が無い白木の仏像)であったと考えられています。ところどころに残る金箔からは、永きにわたって大切に護られてきたことをうかがうことができます。

大正初期ごろに一度国宝に申請することとなりましたが、残念ながら国宝に指定されなかったという逸話も残っています。

ご利益

火防守護(火災から守る) / 厄除守護(厄難から守る)など

国指定重要文化財 子安大荒神

国指定重要文化財 子安大荒神

前立子安大荒神

宮殿くうでんに安置されているお前立まえだちの子安大荒神

ご説明

縁起によると室町時代の天文12(1543)年に造立され、武将・村上義清公の念持仏として伝わった仏像です。大正年間に当時の当寺23世住職・伊東恵済(いとうえさい)上人が子安大荒神の胎内に内蔵物(墨の書付がある木片)があることを発見し調査すると村上義清公の書であることが分かり、貴重さゆえ国宝に申請しました。

そして、大正3(1914)年の夏に文部省の国宝審議官に鑑定を依頼すると、木片は村上義清公により筆跡に間違いないと鑑定され、木片の書とともに仏像の姿の珍しさから大正4(1915)年3月26日に国宝に指定されました。その後、文化財保護法の施行を受け、昭和25(1950)年8月29日に旧法制下で指定された国宝の物件は全て「国宝」という名称から「国指定重要文化財」に改められ、国宝であった子安大荒神も重要文化財に再指定されました。

ご利益

安産守護(難産の危険を除き、安産を成就させる) / 子育守護(子供たちを健全に成長するよう守る)など

普段の両荒神さま

両荒神さまは、霊験のあらたかさゆえ古くから「秘仏」とされてまいりました。江戸時代には、善光寺さんと同様に7年に一度ずつしか御開帳されなかったとの記録があるほどでございます。

嘉永4(1851)年からは、両荒神さまは本堂内にある金箔や漆で荘厳された宮殿(くうでん)に安置されております。子安大荒神は、文化財保護の観点から安置する場所を頑丈な建物にしたほうが良いということで、昭和56(1981)年から本堂裏にある「安置殿(あんちでん)」に遷座なさられました。

本堂の宮殿には三宝大荒神と子安大荒神のお前立(おまえだち=本物の仏さまの像の代わりの像)を安置し、正月三が日に行う「新年祈願会」と4月に行う「御開帳祭典法要」の際に公開しております。安置殿に安置している子安大荒神は4月に行う「御開帳祭典法要」の際にのみ公開しております。

三宝大荒神とお前立の子安大荒神が収められた宮殿

三宝大荒神とお前立の子安大荒神が収められた宮殿
嘉永4(1851)年、現在の長野市西之門町の吉野屋(山田)小兵衛氏による寄進。

子安大荒神が収められた安置殿

子安大荒神が収められた安置殿
100年耐えられるよう考慮し設計。昭和55(1980)年竣工

両大荒神を拝観されたい方へ

三宝大荒神と子安大荒神は通常「秘仏」として公開しておりません。

  • 三宝大荒神…毎年正月三が日、4月第一日曜日(8日に最も近い日曜日)
  • 子安大荒神…4月第一日曜日(8日に最も近い日曜日)

上記のように御開帳をいたしております。子安大荒神は正月三が日には御開帳をいたしませんのでご注意ください。

なお、法要の開催日は毎年変動いたします。気になる方はお手数ではございますが、「お知らせ」からご確認いただくか、もしくは「お問い合わせ」よりご質問ください。